大阪の起源は5世紀にさかのぼる. 「桶狭間の戦い」は信長による奇襲が成功し、今川義元の首がとれた戦いとして知られています。しかしその奇襲がどのルートで、どうだったのかは諸説あり未だに謎のままです。その研究が進み、「桶狭間の戦い」時の地形が奇襲を成立させる大事なポイントであるという説もあります。 「大阪歴史博物館」の展示紹介は次回に譲ることにしまして、今回は古い大阪の地形パネルに出会ったのでそれを紹介したいと思います。 これはikomanokazeさんがご自分のブログで紹介されている「原始蓮・・・生駒西麓」のお話とも繋がります。
大阪の歴史は谷町にあり 「大阪」と聞いて、みなさんはどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。 「オバチャンがおもろい街」「お笑い芸人の街」といったような印象が、バラエティー番組の一風景とともに浮かんでくる方もおられるかもしれません。 大阪に通じていた五街道は、京都の三条より延長された東海道だけでした。しかし大阪には、都が京や大和にあった時代に造られた、五街道よりも長い歴史をもつ街道筋が多く残っています。 『大阪湾の形成』 古代の大阪湾は、大阪平野の奥深くまで入り込み、東は生駒山西麓にいたる広大な河内湾が広がり、上町台地が半島のように突き出ており現在とは大きく趣の異なる地形であった。 同敷地の地すべり地形である大阪文化財研 究所(2012)の南谷が谷頭にあたると推定される。谷頭部は古墳時代中期以降、断続的に埋め立てら れている。また、同じく地すべり地形である大阪市文化財協会(2010)の谷も、玉造谷に NHK番組のブラタモリ大阪編で、タモリさん推奨の大阪の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ大阪編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。大阪でブラタモリ【ブラタモリ・堺編】全ルートを写真で紹介! 大阪市パノラマ地図(美濃部政治郎、1924年(大正13年)) 大阪市立中央図書館蔵 第二次市域拡張を行う前の大阪の海からの眺め。市中の河川や運河に大小の船が行き交う様子が描かれている。 東京だけでなく、大阪にも同じような地形があり、歴史がある。面白くなった新之介氏がブログ等で情報発信をしていたところ、「大阪アースダイバー」(中沢新一氏著)の出版記念イベントにゲストとして呼ばれる機会があった。そこで中沢氏 歴史特性 歴史的街道が張り巡らさ れており、寺内町等の多く の歴史・文化遺産がありま す。また、巨大な古墳群、 城郭、近代建築物群など古 代から現在に至るまでの 歴史的資源に恵まれてい ます。 大阪の地形の成り立ち 大阪の地形図を広範囲で見てみたいと思います。 この地形図は国土地理院の数値地図5mメッシュ(標高)と10mメッシュ(標高)をカシミール3Dで制作している。(数値地図5mメッシュで欠けている部分を数値地図10mメッシュで補っています。
5世紀の頃、日本の経済、政治の中心地として栄えた大阪。現在の大阪市中央区あたりに存在したとされる難波津(なにわづ)は、当時新しく開港した港として、朝鮮や中国、アジア他国からの玄関口として利用されていました。 大阪の歴史と地形に着目したフィールドワークを続けておられる筆者の新之介さんのことは、ブラタモリで知りました。その時のお話とも関連するのですが、上町台地の歴史的な役割や意味が面白く、本書でその奥深さを確認した次第です。
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