場所は岐阜県可児市兼山。明智城から車で15分ほどの場所にある山城・美濃金山城。この山城は斎藤道三の命で、養子である斎藤正義が築城したものです。現在、美濃金山城跡は一部が「蘭丸ふる里の森」として整備をされていて桜や紫陽花の隠れた名所になっています。 美濃金山城,周辺散策,岐阜県可児市,国史跡,後世にあまり改変が加わっていない状態,破城,状況,石垣,希少,蘭丸ふるさとの森,千本桜,ガーデンカフェ&普茶料理,ギャラリーかなやま,山城連絡協議会,蘭丸亭,野戦鍋,バーベキュー,山野草,ジョウジョバカマ 2017年07月14日 13:28 【美濃金山城】金山城(かねやまじょう)は美濃国可児郡(現在の岐阜県可児市兼山)に存在した日本の城(山城)です。城跡は「美濃金山城跡」(みのかねやまじょうあと)として、2013年に国の史跡に指定されています。 烏峰城の名で天文6年(1537)に築城。永禄8年(1565)には織田信長家臣森可成が城主となって金山城と改称。長可、蘭丸、忠政が城主となって、関ヶ原の戦いの後に破城。一説には犬山城に移築されたとの伝承(金山越)もある。 移動編集局 信長450 【美濃金山城】 森蘭丸の権威示す ノブたび 岐阜ゆかりの人物編. 美濃金山城は1537年(天文6年)斎藤道三の養子・斎藤正義が標高277メートルの古城山の山頂に烏峰城を築いたのが起源と伝わる。 その後、 織田信長 が美濃国を平定すると、1565年(永禄8年)家臣の 森可成 を城主に任じて金山城と改称した。 美濃金山城(可児市)の見どころや構造、歴史や雑学、さらに地図などのアクセス情報を写真つきで詳しくご紹介します。美濃金山城は別名、兼山城、鳥峰城、鳥ヶ峰城と呼ばれています。美濃金山城はお城として可児市で2位、岐阜県で7位の観光名所です。 可児やすらぎの森(生活環境保全林) - 中部地区最大のローラー滑り台がある。滑降時、でん部が摩擦でかゆくなるのを防止するため、マットの貸し出しもある。 蘭丸ふるさとの森(金山城跡) - 織田信長の小姓として仕えた森蘭丸が生まれたところ。 天正10年(1582)には、甲州征伐に貢献した兄が恩賞として旧武田領を得て領地替えとなったため、兄の所領だった美濃金山城を与えられています。 本能寺の変で明智光秀軍と奮戦! 『豊臣勲功記』の「本能寺ニ森蘭丸討死之図」です。 父・森可成は、1570年、宇佐山城の戦いにて、嫡男・森可隆と共に討死したため、次男の森長可が家督を継ぎました。 その父と兄の菩提を弔うため、1571年に創建したのが、美濃・ 兼山城 (金山城)の城下にある可成寺となります。 金山城にかかわる貴重な展示や兼山の町の成り立ちの資料が見られました。 まとめ. 金山城(かねやまじょう)は美濃国 可児郡(現在の岐阜県 可児市兼山)に存在した日本の城(山城)。 城跡は「美濃金山城跡」(みのかねやまじょうあと)として、2013年に国の史跡に指定されている。 美濃金山城は、いかがでしたでしょうか。金山城跡の見どころをまとめめてみます。 ・森蘭丸の生誕の地(城跡)である。 ・国史跡指定,続日本の百名城に選出されている。 エメラルド色の木曽川を堀代わりにし、中山道の要衝にそびえていた美濃金山城。令和元年(2019)年11月に開催される「全国山城サミット」のイベント会場のひとつでもあり、注目を浴びているこのお城をご紹介。 美濃金山城がある地元では、森蘭丸は永禄八年(1565)に美濃金山城で生まれており、山頂に井戸がないために山腹の井戸から産湯を取ったという伝承が残っています。

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